2023年05月07日

復活の強右衛門ラン

令和5年5月5日、コロナ禍も開けて3年ぶりに新城強右衛門久楽部が開催する「戦国街道ラン」に参加しました。

この大会の為に、殆どソールが無くなっているトレーニング用の靴に代わる初めてのHOKAを新調しました。電車の始発では朝5時の集合時間に間に合わないので、岡崎で前日泊。


《夜の岡崎城》

今回は例年の作手を通るコースから変更となり、くらがり渓谷から山道を本宮山山頂まで登り、和田峠まで本宮山スカイラインを下るコースです。これによって5km程走行距離が短くなりました。しかし、上昇高度は550mから700m超に増えたのでその分キツめです。今回、初めて参加される方が多数で、中には名前の由来になっている鳥居強右衛門について知らない人も。

5時30分、グループ毎に出発する。14km地点のエイドに7時10分頃、20km地点のエイドに8時頃到着、エネルギー切れしない様におにぎりを食べる。27km地点のくらがり渓谷まではキロ6~7分の速度で着いて行けた。いつもキロ8位まで落ちてしまうので、今回は調子が良い。9時頃にくらがり渓谷に到着。一人で走っていたらとても維持不能な速度である。ただし、途中で立ち止まって写真を撮っている様な余裕が無く、今回は殆ど走行中の写真が撮れなかった。


《本宮山山頂に到着》

登山道に入るとついつい歩いてしまい、グループから遅れ気味に登る。34km地点の山頂には10時10分に到着。ここから一気に本宮山スカイラインを下る。新調した靴のクッション性が高く、いつもはしない跳ねる様な走り方をしても全然ひざ腰に来ないので、調子に乗って飛ばしたが……ここで今回最大の危機を迎える。ふとした拍子につまづいて前のめりになってしまい、このままだと転倒する状況に。コケたら間違いなく怪我する速度。足を早く動かし下半身を先に進ませ、思いっきり仰け反る事で何とか転倒を回避したが、足に負担を掛けてしまった。しばらくすると右足の内転筋が攣ってしまい、道路を外れて筋を伸ばす。後半走るのが辛くなるかも知れないと思いつつ、走行を再開。38km地点の和田峠でおにぎりを無理矢理詰め込んで、残りの区間に備える。

45km地点の竹生神社には11時40分頃に到着。例年のコースであれば、ここは50km地点なので走行距離が短くなった事を実感。アイスを食べて再出発、馬防柵を経由して55km地点の新城総合公園まで最後のアップダウン。公園の到着時刻は13時5分頃。ここで15分ほど少休止して、残り2kmを移動して長篠城址に13時50分到着。鉄砲隊の演武を見る。14時10分から強右衛門隊の到着式。奥平貞昌役の新市長に強右衛門久楽部会長の中嶌さんから到着の口上が述べられ、強右衛門隊全員で勝鬨を上げる。大分県の奥平家から届いた餅を受け取り、会場の人々に配布して回る。その後、会場を出て完走証を受け取り、ここで大会は終了。


《長篠城鉄砲隊の勇姿》

一人だとこの距離を走って、この時間ではとても到着できなかっただろう。そこで思うのは強右衛門隊は全員で無事ゴールしてこそ一人の強右衛門になるのだなあと言う事。勝商公に誉れあれ、我らとこしえに語り継がん。

P.S. 強右衛門って、ドラえもんとスネ夫が一緒になったのかと思ったーっと言う若者が居て、その発想は無かったわと感心するなど。  


Posted by ttakeo at 23:24Comments(0)スポーツイベント文化風景

2022年05月05日

ひとり強右衛門ランみたび

再開が期待された「長篠城のぼりまつり」と「鳥居強右衛門戦国街道ラン」なのですが、今年も開催がなかったので、5月4日、戦国街道ランのコースを一人で走る「ひとり強右衛門ラン」に行ってきました。この日は医王寺でイベントが開催されているので、それに間に合うように行きたかったのですが…。


解体も近い岡ビル


岡崎城前の内藤ルネのイラストとツーショット。6時35分出発。


ここから男川沿いに進む。


民家の壁の何故か一つだけ塗りつぶされていない看板。今でも広告収入を受け取っているのかも知れない。


三河八十八ヶ所の一つ、瑞雲寺


28km地点のくらがり渓谷に10時40分到着。


34km地点の道路最高点に11時55分到着。


35km地点のつくで手作り村に12時5分到着。名物のトマトソフトクリームを食す。


40km地点の戸津呂の待合室に13時5分到着。昼食を取り、残りに備えて態勢を整える。


50km地点の竹生神社に14時45分到着。


総合運動公園の手前で強右衛門久楽部の堀井さんにコーラとお菓子の接待を受ける。ありがとうございました。


58km地点の総合運動公園に16時25分到着。


目標の医王寺に17時到着。イベントはとうに終わっていたので普通にお参り。


長篠城址に17時15分到着。


強右衛門磔の場にお参り。


新昌寺の強右衛門の墓にもお参り。また、来年も走る事を誓う。


前半調子良かったのだけど、国道301号の坂を下りたら脚がなくなっちゃった感じ。水を3リットルは摂取したのに、体重が3kg減っていた。どんだけ汗が出たんだよ。なのに身体は相似形のまま、お腹のぽっちゃり形状もそのままで、なかなかうまく行かないもんだ。夏の富士山頂往復マラニックまでには何とか減量したい…。


今回でコースを走るのは8回目だったけど、今回も強右衛門に守られて走っていた感じ。同行二人とはこんな感じの事を言うのだろうか。
  


Posted by ttakeo at 14:58Comments(0)スポーツイベント文化風景

2021年12月27日

まちなか図書館を考える(20)

待ちに待っていた「豊橋市まちなか図書館」も開館して一ヶ月、そろそろ状況をまとめてみたいと思います。図書館について考えるワークショップに参加していた立場からすると、そこで希望されていた内容がほぼ実現していて、本当に申し分ない限りです。BGMが流れ、おしゃべりをしても良い空間。階段型の講堂空間。配置換え可能なイペントスペース。洗練された什器類。特にキッズスペース、キッズトイレ、授乳室まで用意されているのはいたく感心しました。

まちなか図書館職員のKさんに質問しました。パフォーマンススペース、中央階段等のイベントスペースの利用について。基本的に貸出しはなく、まちなか図書館のイベントとして利用する事になる。その為には、まず図書館側と相談の上、まちなか図書館での開催が相応しいかの企画会議を経る必要があるとの事。対面相談室は一般には開放されておらず、図書館側が認める案件についてのみ利用可能との事です。有料貸出しがあるインターナショナルスペースについても利用には市の協賛をもらわないといけないと言っていました。すると、任意団体としての届け出がないと利用できないか。

イベントスペースの利用は無料なだけに、有料であるにも関わらず毎回申込多数で会議室の利用が抽選になるプラットより利用が難しくても仕方がないか…。

まちなか図書館職員Yさんにビジネスサポートについて質問。データベース検索サービスと他館と比べて豊富なビジネス蔵書で対応している。また、これから相談会などを随時イベントとして実施したいとの事。自分としてはどうしてもOKABIZみたいに常駐しているものを期待してしまうのですが、なかなかそうはいかない様です。図書館運営について目安箱の様な物があるかについても質問しました。職員が直接伺う。話しにくい事で有れば他の手段でとの事。

ここからは感想。大型本は少数、点字本は皆無。相談室も視覚障害者の為の対面朗読室としての運用を考えていない。外国語の本も英語だけ。収蔵冊数から致し方ないでしょうかね。

まちなか図書館のイベントスペースで読書会や哲学カフェを開催したいとか、色々と夢を見すぎていたなと反省しています。まずは普通の席で開催から予約席と実績を重ねて、最終的に市のイベントとして開催できるレベルになる事を目指そうと思いました。

中央階段とウェルネススペースの使い方を質問。中央階段でおしゃべりするのはOK。それがグループ内での話し合いになってもOK。ウェルネススペースで一人でストレッチやヨガを始めるのはOK。それが仲間内で教え合う状態になってもOK。では、チラシなどで同好の士を集めた場合はどうかと言うとグレーな様です。市で行うイベントとは何かの定義について説明はありませんでした。

と、言う事でまち図書のイベントとしてではなく、イベントスペースで自主的な集まりを持つ事は可能そうです。哲学カフェ実施の芽が出て来た。

メイカーズラボについて質問。貸出し券があれば1日1回3時間まで使える。2台ある画像編集用PCにはAdobe creative cloudがインストールされている。データの持ち込みはUSBメモリで行う。結構高い月料金のアプリが使えるので、有効に使いたいですね。また、カッティングシートを作れるPCはどんなデータでも輪郭を取り出してシートを作れるアプリが入っているそうです。

ちなみにまだメイカーズラボの利用者はイベントを除いてゼロだそうで、誰が第一号になるか…。と思っていたら、今日高校生と思しき男の子たちがコンピューターをいじっていたので、栄えある第一号は彼らの様です。


《まちなか図書館開館1ヶ月のトークショー》

まちなか図書館
まちなか図書館を考える
豊橋に日本一の図書館をつくろうプロジェクト
豊橋に日本一の図書館をつくろうプロジェクト(2)
豊橋に日本一の図書館をつくろうプロジェクト(3)
まちなか図書館ワークショップに参加
豊橋に日本一の図書館をつくろうプロジェクト(4)
まちなか図書館を考える(2)
まちなか図書館を考える(3)
まちなか図書館を考える(4)
まちなか図書館を考える(5)
大清水ミナクル
まちなか図書館を考える(6)
まちなか図書館を考える(7)
まちなか図書館を考える(8)
まちなか図書館を考える(9)
まちなか図書館を考える(10)
まちなか図書館を考える(11)
まちなか図書館を考える(12)
まちなか図書館を考える(13)
まちなか図書館を考える(14)
まちなか図書館を考える(15)
岡本真氏講演会「未来の図書館、はじめませんか?」
まちなか図書館を考える(16)
まちなか図書館を考える(17)
まちなか図書館を考える(18)
まちなか図書館を考える(19)
まちなか図書館を考える番外編
  


Posted by ttakeo at 00:25Comments(0)アート文化

2021年12月13日

まちなか図書館を考える番外編

12月5日、江南市図書館について考える市民の会「江南あおむしの会」に豊橋まちなか図書館倶楽部の小野代表の代理として挨拶してきました。まちなか図書館倶楽部紹介のビデオ上映の後、自分とまちなか図書館、まちなか図書館倶楽部との関わりについて話しました。その後、会場からの一問一答形式で一時間ほどお話ししました。江南市では現在、現行の図書館に代わる新たな図書館計画が進行中なのですが、現行の図書館から2km以上離れた場所に設置される為、交通弱者のアクセスに懸念が持たれています。

Q まちなか図書館倶楽部はまちなか図書館だけを対象としているのか、豊橋市の図書館全体を対象としているのか?
A まちなか図書館の計画から始まっているが、それが自ずと豊橋市の図書館計画全体に関わっている事が分かり、倶楽部も豊橋市の図書館計画全体に関わらざるを得なくなった。

Q 指定管理者制度について
A 指定管理者制度の問題点としては、1.施設の運営について丸投げになってしまう為に、自治体にノウハウが残らない。2.指定管理者に権限が与えられていない為に、ボランティアとの協働をやりにくい。

Q 図書館計画が固まってしまった後に市民にできる事
A 本来であれば、図書館の性格を定める館長の任命について要望すべきだが、これまでも指定管理者によって図書館が運営されているので、館長の任命について何かを求めるのは難しいかも知れない。それでも、市民が図書館の運営について協働できる局面は多いと思うので、どう協働する仕組みを作れるか市と話し合うのが良いのではないか。

昼食後、ご厚意に甘えて布袋の新図書館建設予定地、江南市図書館、小牧市図書館を見学。江南市図書館は互い違いに階が積み重ねられた特徴的な建物で建築関係の賞を受賞した事もあるそうです。しかし、図書館階は2階と3階で利用者の立場からは建物に入って最初に階段を登らなくてはならないのは子連れ家族や足の弱い方には酷と、市民からの要望で階段用エレベーターを設置してもらったそうです。図書館の中はこじんまりとした空間でちょっとした隠れ家の様な雰囲気でした。


《江南市図書館》


《複雑な空間》

江南市周辺は平坦で地名に「新田」の名前が多く、江戸期に開発された事が分かります。交通の要衝に近く、現在は運送会社の倉庫が目立ちました。

隣町の完成間もない小牧市図書館は4階建ての大きな建物で、外から見ると階段状のテラスが印象的です。中は吹き抜けになっている空間と、各階をつなぐ階段が複雑な表情を作り出しています。「まちなか図書館」とは対称的な昔ながらの静かな図書館で図書は十進分類法に従って配置され、中央図書館として8千平米に30万冊以上を収容しています。隣接するショッピングセンター「ラピオ」の中に中央図書館の移転が計画されてから、ツタヤ図書館として新設される計画から、市民の活動によって白紙の計画から建設された経緯を見ると、図書館としての理想を実現していると思いました。特に「まちなか図書館」に近い45億円の予算で中央図書館並みの施設になっている所を見ると、豊橋市は高い買い物をしちゃったかなと思いました。


《小牧市図書館》


《複雑な表情のある空間》


《贅沢なテラス》


《テーマ別配架と十進分類法が共存》


《広大な子供図書館》


《子供図書館の対面空間》


《スロープに子供向け図書が配架されている。これも十進分類法》


《子供の夢を育む空間》


《こんな秘密基地が欲しかった》


《調度も良い》


《アール・ブリュット展が開催中でした》

最初の図書館移転計画先のラピオは、作りが古いのか天井が低く、ここに図書館を入れても数十年しか持たないだろうなと思うと新図書館の建設は妥当に思えるのですが、ラピオの中にも子供図書館と同様の機能があるを見ると、小牧市の予算が大丈夫なのか心配してしまいます。


《隣接するラピオのがらんどうぶりが凄い》


《ラピオ全景》

小牧からの帰り道、地下鉄を乗り継いで名古屋に出るよりも、名鉄で一旦犬山に出て、そこで乗り換えて戻る方が速くて安く、犬山が交通の要衝だったのだなあと、車窓から犬山城を見ながら思いました。  


Posted by ttakeo at 07:30Comments(0)アート文化

2021年05月06日

ひとり強右衛門ランふたたび

依然として続くコロナ禍の下、今年も長篠合戦のぼりまつりと鳥居強右衛門戦国街道ランも中止になってしまったのだけど、昨年また来年も走ると誓ってしまった手前、今年もひとり強右衛門隊として走るのでした。本当は5月5日の筈だけど、雨の予報があったので一日前倒しして5月4日に決行。


これ、家康像なのよね?


岡崎、戦国ラブ杉w


午前6時45分、岡崎城にひとり強右衛門隊推参!


内藤ルネも大事な岡崎成分。


案山子アイテムが年を経て、いよいよホラー感あふれる状態に。夜見たら泣く。


午前11時20分、28km地点、くらがり渓谷まで来る。


午後1時、35km地点、去年は閉鎖されていた「つくで手作り村」が営業していた。名物のトマトのソフトクリームを食す。


午後6時、62km地点長篠城に何とか登城。昨年より一時間到着が遅くなってしまったが取り敢えず勝利したと言う事にしておこう。

走りながら、なぜ強右衛門は捕らまえられてしまったのかについて考えていた。長篠城からの脱出成功を知らせる狼煙が上がった時点で武田方も使者が送り出された事に気付き、この時点で城から見える狼煙場、脱出経路となったであろう川筋について警戒網を敷いただろう。連絡手段を絶たれた強右衛門にできる事は、捕まる危険を冒してでも川を渡る事だった。そして捕らまえられた時にできる選択は自分の命と引き換えにして真実を告げる事だったのだろう。知ってしまった真実に対してどう振る舞うかと言う物語は今も我々の心を捕まえて離さない。
  


Posted by ttakeo at 07:30Comments(0)スポーツ風景

2021年02月02日

第19回スロータウン映画祭佐藤浩市シネマトーク

芸術劇場PLATにて、映画「愛を積むひと」「陽気なギャングが地球を回す」を上映の後、東京から来訪した佐藤浩市氏によるトークショー。


「愛を積むひと」は妻を病で亡くした男が妻からのメッセージによって癒されていくストーリー。プロットが素晴らしいと思っていたら、原作は海外の小説だったのね。


「陽気なギャングが地球を回す」も台詞回しが良いと思ったけど、多分原作では叙述トリックになっていた部分を、本当に時間を逆回しにして説明してしまう演出がイマイチとは言え、能天気なピカレスクを楽しむべきか。

「青春の門」の前のTVドラマがデビュー作。その時は若山富三郎が自分を弁護する弁護士の役だった。「青春の門」でも若山富三郎と共演となったのだが、現場入りが遅れて、彼の演技を見ていなかったので、それではどうやって役に入るのかとお叱りを受けた。自分は言葉だけだったが、若山富三郎がお付きの人を竹刀で叩きながら怒っていたので、大変申し訳なく思った。その次のドラマもやはり若山富三郎との共演となったのだが、後でお付きの人から、自分の演技を評価している事を聞いてうれしかった。

子供の頃、余り三国連太郎には遊びに連れて行ってもらえなかったけど、撮影の現場には連れて行かれた事が、今の自分を涵養したのだと思う。自分が役者になる事を告げた時「そうか」とだけ言われたが、自分も息子が役者になる事を告げた時には、やはり同じ様な対応をしていた。





「愛を積むひと」みたいな役であれば何時でも演技できるので、三池監督の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」みたいな作品をまたやってみたい。

一貫して三国連太郎の事を「三国」と呼んでいて、一度だけ「おやじ」と呼んでいたのが、親子の関係の複雑さを物語っていました。
  


2020年10月16日

ぐるっと浜名湖一周100kmエンジョイマラニック2020

日曜日に萩田さん主催の浜名湖一周100kmエンジョイマラニックに参加しました。今回で5回目の挑戦になりますが、未だ一度も時間内に完走できた試しがありません。昨年は台風の接近で中止、一昨年は70kmまで走った所で腰痛が出てしまいリタイア。正直、体力的に限界を感じたので、以降は80km以下のクラスに参加を切り替えようと考えました。ところが、その時のゴール後の記念写真を見ると、自分は完走では無いからテープのGOALの文字を隠したつもりだったのですが、ALだけ隠れていてGOの文字が残っている。これはまだやらないと行けないと言う天啓なのでは無いかと今回も懲りずに100kmの挑戦を選択しました。




今回はコロナ対策のために例年の様な一斉スタートではなく、個々に出発する事に。会場で受付した後、23時40分にスタート。群走の時は、集団から遅れると道が分からなくなってしまうと焦って必死について行ったものでしたが、今回はバラバラなので地図だけが頼りです。自分はGoogleマップにコースを予め入力したのを作っておいて、それを見ながら走りました。それでも、夜中に一人で走るのは不安な感じ。

毎回、先頭集団から取り残された後、眠気からついつい歩いてしまって遅くなってしまうのですが、今回は最初から一人なので、カフェイン錠を飲んでひたすら自分のペースで走る事に。ほぼ4時間余りで30km地点のエイドに到着、7時間半で50km地点通過と、これなら時間内完走も可能そうに思えました。


《舘山寺のチャペルの尖塔が美しい。》


《漁港の夜明け》


《昨年の台風で桟橋が壊れてしまい、そのままの瀬戸港》

60kmの辺りで、今回は60kmのクラスに参加の内藤さんが走ってきて、互いに無事完走を誓い合う。ところが、63kmくらいで余りの晴天に頭がクラクラして熱中症っぽくなり、道の脇の側溝にへたり込んでしまい、追い越して行くランナー達に心配される。日陰でしばらく涼んで、頭をすっぽり濡れタオルでくるんで再び立ち上がる。いつも迷うので鬼門の東急リゾートヴィラを今回は悩まず通り抜け、猪鼻湖最奥部の津々崎神社にお参りしてランナー全員の無事完走を祈る。

70km地点で11時間40分経過、残り5時間20分以内に残り30kmを走り切れれば、時間内完走になる。一昨年の様に腰痛にならず、このままなら行けそうなのだけど、疲れから足が止まってしまう。攣り止めと痛み止めを飲んで身体をごまかし、走れなくなったら早歩きしてまた走るを繰り返す。80km地点のエイドで13時間20分経過。食べ物が用意されているのだけど、身体が受け付けない。時間内完走はもう諦めようと思っていたら、萩田さんから残りをキロ10分で行けば完走できると励まされ、その気になって再度スタートする。90km地点で15時間20分経過、またサプリを飲んで身体をごまかすが、95km地点の最後の折り返しの所で遂にダウン。足がピクリとも動かない。もう時間内完走は諦めたと目を閉じてしばらく休む。

残り5kmを50分で走るのは、日頃ならばいとも簡単そうな事なのだが、16時間以上走った後ではとても難しく感じられる。時間内でなくてもゴールテープが用意されている17時までにはゴールしようと、目を覚まして再び走り出す。呼吸を整え、心拍数を上げていく。ヘッドホンを付けてお気に入りの曲を聴きながら気分を上げていくと身体も脳もだまされて、先ほどまでピクリとも動かなかった足が前に出てくれる。そのまま時間との勝負だとひたすらゴールを目指して走る。

ゴール直前、ホテルの駐車場の入り口で遂に足が攣ってひっくり返る。萩田さんに手を引いて起こしてもらい、ほうほうの体で16時40分ゴール。経過時間は17時間ちょうど、何とか完走である。


《髪が解けたまま走った結果、頭が金田一秀穂みたいになってしまった。》

実は、最初に挑戦した5年前にも一度コースを完走していたのだった。しかし、その時は16時間57分掛かり、その時のルールでは制限時間が16時間だったので完走とはならなかった。今回は色々と不利な状況のもと5年前とほぼ同じ事ができただけでも自分を褒める事にしよう。走っている間に4~5リットルの水分を補充したのに、体重は5kg近くも減っていて、今さら凄いダイエットになったなと驚いています。しばらくはよちよち歩きになりそう…。
  


Posted by ttakeo at 07:30Comments(0)スポーツイベント風景

2020年08月23日

豊川用水の旅 番外編 落ち穂拾い

昨年、豊川用水東部幹線にある施設は全てたどったつもりだったのだが、入口と出口の種類が違う場所が所々残って、それが気になったので再度確認の旅に出た。

ケース1 トンネル→サイホン


《湯三トンネル》


《三ツ口サイホン》トンネルに入った筈なのに、出口はサイホン? この時は気付かなかったのだが、後で地図で確認したら三ツ口池に流れ込む小川を挟んで反対側にトンネルとサイホンをつなぐ開水区間が有った。いずれ見に行かなくては…。

この調査の為に三ツ口池を再訪しました。池の堤に沿った道を奥まで走っていくと、小川の前に開水路が有りました。


《開拓の碑》三ツ口池の歴史は江戸時代にまで遡る。


《湯三トンネル出口と三ツ口サイホン入口を結ぶ開水路》


ケース2 サイホン→トンネル


《岩崎サイホン》


《岩二トンネル》サイホンに入ったはずなのに、出口がトンネルになっている。また、どこかの開水区間を見落としたらしい。

両者を結ぶ位置を地図で探し、怪しそうな場所に行ってみる…すると。


《岩崎サイホン出口》


《岩二トンネル入口》


《岩崎サイホン出口と岩二トンネル入口を結ぶ開水路》


ケース3 暗きょ→サイホン

伊古部〜高松間は最初に調査した区間で、その時は必ずしも開水路を徹底して追わなかった為に、入口と出口が食い違う謎な区間が存在する。


《大松暗きょ入口》


《久美原サイホン出口》

暗きょに入ったのにサイホンから出てくる。これはおかしい。暗きょ入口とサイホン出口の間の道をうろうろしていると、妙な石段が…これは用水施設の匂いがプンプンする。


《妙な石段》


やっと見つけた!



《大松暗きょ出口と久美原サイホン入口を結ぶ開水路》


《大松暗きょ出口》


《久美原サイホン入口》


はたして豊川用水東部幹線の施設をコンプリートできたのだろうか。まだまだ研究は続く…。
  


Posted by ttakeo at 09:00Comments(0)風景

2020年05月08日

ひとり強右衛門ラン

今年は件のウイルス禍で「長篠合戦のぼりまつり」が中止となり、まつりとゆかりの深い新城強右衛門久楽部の「鳥居強右衛門戦国街道ラン」も無くなってしまった。これまでエントリしていた「穂の国とよはしハーフマラソン」も「掛川新茶マラソン」も相次いで中止となり何の大会もなくとても寂しいので、自分一人でも強右衛門ランを走る事を決めた。


《岡崎城》

5月5日朝6時半、岡崎城をスタート。主催者による荷物運びのサポートは無いので、荷物を全て背負って走る。それでも富士山頂往復マラニックと思えば荷物は少ないので楽。10km地点で7時50分、キロ8分で進んでいるので割と順調だ。ここで小休止、前半最後のコンビニでおにぎりを買って食べる。20km地点で9時半。群走ではなく一人だと時折立ち止まって写真を撮ってたりするので遅くなってしまう。畑でイタチの子供を見掛ける(写真撮りたかったなあ)。


《くらがり渓谷》

27km地点のくらがり渓谷に10時45分に到着。ここからの登りがこのランの最大の難所なのだが、ここまでで既に疲れている。34km地点の標高最高点には12時15分到着。キロ13分で殆ど歩きだ。35km地点のつくで道の駅は当然のことながら休業している。残念ながらここの名物トマトのソフトクリームはお預けだ。


《道の駅つくで手づくり村》

その後も走っていたら、強右衛門久楽部のN村さんとI田くんに車から呼び止められる。ここまでの道行をLINEのグループに投稿していたら眼に止まった様だ。正月に手術を受けてリハビリ中のN村さんが37kmから41km地点まで伴走してくれた。N村さんは元は100km大会の為の練習に100km走ると言うとんでも無い猛者だ。午後1時半に41km地点に到着。背負っていた荷物からおにぎりとバナナを補給する。N村さんからはアイスとスポーツドリンクを頂いた。ありがたい。


《武生神社の駐車場で》

午後3時、50km地点の武生神社で小休止。足の甲に違和感を感じたので見ると腫れていたので湿布を貼る。午後4時半、58km地点の新城総合公園に到着。N村さんが車で待っていてくれた。今度はコーラを頂く。重ね重ね感謝しかない。聞くと、強右衛門久楽部は春日井の人から大会を催行しないのかと再三問い合わせを受けていて、大会の休止で伝統を絶やしたく無いと言う思いと、自粛の波との間でどうしようか迷っていたとの事。結局、春日井の人が諦めたので、一人で走っている人物が居ると分かると居ても立っても居られなくなったのだそうだ。有難い限りである。


《長篠城址》

午後5時、63km地点長篠城址に到着。遅れ馳せながら、ひとり強右衛門隊ただいま見参。この後、N村さんの車で鳥居強右衛門の墓碑と菩提寺に案内して頂く。これまで一度はお参りしないといけないと思っていたので有難い。墓碑に今回も無事に完走できた事の感謝を捧げ、来年もまた走る事を誓う。


《強右衛門磔刑場》


《強右衛門墓碑》


《菩提寺の新昌寺》

今回も走りながら強右衛門の決意について考えていた。きっと最初から最悪の事態について考えていたのだろう。武田側にしてみれば単に吉報を伝える使者を殺害してしまえば済むのだから、武田側を欺くために敢えて命乞いをしてまで援軍の到来を告げようとしたのではないか。そこまでの思慮深さが自分にも欲しいと思った。  


Posted by ttakeo at 07:00Comments(0)スポーツ風景

2020年04月07日

クレーンの背が伸びる〜駅前の再開発ビル


建設中の駅前大通り二丁目の再開発ビルをいつも見ているのですが、いつの間にかクレーンの背が高くなっている。


どうやって支柱を伸ばしたのか考えると夜も寝られなくなりそうです…。

「まちなか図書館」が2~3階に入る再開発ビルは来年の今頃には開業しているそうです。  


Posted by ttakeo at 10:30Comments(0)風景

2020年03月03日

映画の日

日曜日は毎月1日の割安料金で映画が見られる「映画の日」だったので、ユナイテッド・シネマに行きました。すると数週間前と大きく変わっていて、人が入っている窓口が小さくなり、自動券売機が並んでいました。ちょっと驚き。窓口にインカムを付けた人がいて、机にマネークリッブが付いているなどアメリカナイズされた雰囲気から、新幹線の券売所みたいに。

これまで休日毎に窓口に行列ができていましたが、券売機に慣れた人が増えればそれも解消するでしょう。



《豊橋駅前の河津桜は満開》  


Posted by ttakeo at 10:31Comments(0)音楽・映画

2020年02月18日

第18回スロータウン映画祭 第3週


「恋に落ちて」
ロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープが中年の禁じられた恋に陥る。80年代の劇伴がテレビドラマっぽくて、何か妙に懐かしい感じ。


「マイ・ブックショップ」
大戦後のイギリス、戦争未亡人のフローレンスは亡夫と夢見た書店を開くのだが、地域の有力者に目を付けられてしまう。彼女に味方する者と裏切る者…彼女を見守る少女の目から見た物語。ブラッドベリやナボコフの本が取り上げられる所が得点高い。「書店に孤独なんてないわ」


「あの日のオルガン」
昭和19年、B29による空襲が現実化する中、政府によって学童までの疎開は決定されても、就学前児童の疎開はなされなかった。その中、戸越保育園は自力で疎開を実施する。保母たちは戦時下と言う状況に文化的な生活を守り抜こうと立ち向かうが…。いつもはエンドロールが終わる前に動き出してしまう観客が最後まで静かに味わっていました。


「居眠り磐音」
松坂桃李主演の王道娯楽時代劇。修行していた江戸から豊後の杵築藩に戻った幼馴染の三人は、陰謀によって互いに斬り合いになってしまう。傷心の磐音は脱藩して再び江戸に戻るが、そこでも厄介事に巻き込まれ…。佐々木蔵之介と谷原章介は時代劇に似合い過ぎ。



スロータウン映画祭は毎回、劇場に掛かっていても見落としていた名品が掛かるのがありがたい。  


Posted by ttakeo at 10:00Comments(0)音楽・映画イベント文化

2020年02月11日

図書館からの意外なプレゼント

先日、中央図書館に本を返却に行った折、カウンターで機械に何やらお知らせが表示されて、係りの人が奥から紙袋を出して来ました。「ブック・オブ・ザ・イヤーのプレゼントです」

そう言えば昨年末、図書館の「ブック・オブ・ザ・イヤー2019」の投票をしたのだった。その時、貸出カード番号を書くとプレゼントがある旨が記されていたので、何がもらえるのか興味を持って番号を書いたっけ。すっかり忘れていた。

さて家に戻って袋を開けてみると、はたして中は雑誌の付録だった。図書館で購入する雑誌は本でない付録は処分していると思われるので、それが入れられている様だった。



箱を開けると…


一つは自転車雑誌の付録で、サコッシュと呼ばれるサイクリング向けの簡単なバッグ。GIROのブランドが入っている。もう一つはグッズ雑誌の付録でスマホ用の8倍の望遠レンズだった。子供の頃の「スパイカメラ」みたいな形。

図書館でプレゼントをもらえると言う不思議な感じと、その意外さがちょっとうれしい一日でした。で、肝心の「ブック・オブ・ザ・イヤー2019」の発表は…まだみたいなので、楽しみに待っています。
  


Posted by ttakeo at 10:30Comments(0)文化

2020年01月28日

スロータウン映画祭 ピーター・バラカン トーク&DJイベント

土曜日の夜、ピーター・バラカンがDJを務めるスロータウン音楽祭の人気企画に初めて行ってきました。今回で4回目だそうです。イギリスで過ごした青年期に聞いていた曲を紹介するのですが、余りに紹介したい曲が多い為にまだ60年代中盤までしか進んでいないそうです。どんな曲が紹介されているかは著書「我が青春のサウンドトラック」の内容に沿っています。

以下は当日のセットリストです。

65年

この頃はブルーズがミュージックシーンの中心だった。

Yardbirds <前回紹介したのはここまで>


Chuck Berry "Memphis Tennessee"


Graham bond quartet "Wade in the water"


Paul butter field blues band "Born in Chicago"


Junior wells "Good morning little schoolgirl"

66年

シングルからアルバムが増えて来て、お小遣いでは足りないのでバイトして週一でレコードを買っていた。


Cream "I feel free"

当時は海賊ラジオ局が沢山有って、中でもラジオ・ロンドンの深夜番組"Ready steady go"を若者たちは聞いて最新の音楽状況をチェックしていた。


Jimi Hendrix "Hey Joe"

67年

ソウルミュージックが入ってきた。


Aretha Franklin "Respect"


Sam and Dave "Soul man"


Doors "People are strange"

ここで一旦休憩。BGMにドアーズを2曲。

"Light my fire"
"Moonlight driving"



Captain beef heart "Safe as milk"

この頃からサイケデリックな要素が入って来た。


Pink floyd "Arnold Layne"

The Incredible strings band


Bert jansch "Needle of death"


Beach boys "Heroes and villains"

68年

the band

ボブ・ディランのバックバンドであれは誰だと思っていた彼らがイギリスにやって来た。

Dr John "the night tripper"


Fairport convention "Who knows where the time goes?"


Traffic "Forty thousand headmen"


Jethro tull "Serenade to a cuckoo"

毎年の様に音楽の流行が変わり、リスナーは付いていくのが大変だったがドキドキした時代だった。



  


2020年01月21日

スロータウン映画祭「七色リリーの俳優小噺」トークショー

日曜日にプラットで開催の「七色リリーの俳優小噺」を観に行きました。午前中に映画「万引き家族」、午後から「美しい星」上映後にリリー・フランキー氏のトークショーが開始。開口一番、昨日大阪のイベントで歌いすぎて喉の調子が悪いので、ピエール瀧に教えてもらった薬を飲んで…とか、NGトーク全開。

「万引き家族」は、撮影段階では「声に出して呼んで」と言うタイトルで、上映直前になってタイトルが変更になって全員が驚いた。海辺のシーンは、まだ顔合わせしたばかりの段階で脚本もなしにいきなり撮ったのに、樹木希林は、そこが自分の最後のシーンだと理解していて、アドリブで「ありがとうございました」とつぶやいたので凄い人だと思った。この作品の為に彼女は髪を伸ばした。髪の長い老女が入れ歯まで外すと怖いですよ。

「美しい星」三島由紀夫原作の、実は自分が宇宙人だったと悟った人々が人類の運命を巡って議論する物語。水星人の佐々木蔵之介だけピンスポット浴びせて違う顔色で撮っていて、火星人のリリー・フランキーに人類は滅びてもしょうがないのだとプレッシャーを浴びせ続ける。蔵之介によって世界を滅亡させると言うボタンが押された瞬間、リリーは吐血して倒れるのだけど、その次のカットで蔵之介はリリーを抱き上げて「救急車!」と叫び、いきなり普通の人になってしまう。凄い謎展開なんだけど、監督に何でその台詞なんですかと聞いたら、「デビルマン」で一番感動した台詞だったから…映画って、監督のイマジネーションを実現するものだけど、是枝監督にしても吉田監督にしても、監督の頭の中にある世界を理解するのは難しい。

「美しい星」では主人公が末期ガンを患っていると言う設定で、3週間で9kg減量する為にピエール瀧から教えてもらった薬を…更には何で豊橋は映画祭が二つもあるの? からの行政disと、サービス精神旺盛で予定時間を1時間上回る長さの真面目な話から爆笑ネタまで充実したトークでした。

  


Posted by ttakeo at 10:00Comments(0)音楽・映画イベント文化

2019年12月17日

境松遺跡現場説明会

12月15日に牟呂町の境松遺跡発掘の説明会に行ってきました。ここはかつて海辺の高台になっていて、弥生時代の環濠集落から中世の港まで様々な痕跡が見つかっているのだそうです。

弥生時代の環濠集落は古墳時代の前、日本国内に争いが続いていた時代に周囲からの攻撃に備えて集落の周りに濠を巡らせた物です。中国では三国志の時代、ヨーロッパではキリスト教がローマ帝国に広まりつつあった位の時代です。


《遺跡》左下から右上に細長く伸びているのが弥生時代の内濠の跡。濠と竪穴式住居の跡が重なっている。手前に並んでいる大きな穴は中世の港の施設の跡と考えられている。


《竪穴式住居》土壁を巡らし、その中に四本の柱を立てて梁を渡し、屋根を張った。中には調理と明りとりの為に炉がある。



《弥生式土器》珍しく割れていない状態で出土した土器。底に穴が空けられており、儀礼的な目的に使用されたのではないかとの事。



《様々な出土物》縄文式土器の破片から近世の焼き物まで様々な物が出土している。色々と質問したら説明の人がノリノリで縄文式土器の裏側まで見せてくれました。


《出土時の状況》

遺跡の中で廃棄されたと思われる竪穴式住居では炉が壊され、代わりに須恵器が埋められていて、その地を去る時のカマドの神に対する儀礼だったのではないかと言う話が印象的でした。

自分が以前住んでいた家は、引っ越した後に江戸期の遺構が見つかった事がありました。あなたの足元にも過去の歴史が詰まっているかも知れませんよ?
  


Posted by ttakeo at 10:00Comments(0)イベント文化風景

2019年12月11日

袋井クラウンメロンマラソン2019

12月8日に袋井クラウンメロンマラソンに参加して来ました。いつも7時台のJRに乗って、荷物預けの渋滞に並んでギリギリの時間にスタートラインに並んでいたのですが、今年は一本早い列車で余裕を持って現地入り。

すると、エコパ会場でS浦さんH田さんU野さんと出会う。H田さんは去年はエイドをやっていたけど、今年は走るのか。その方が楽しいよね。余裕を持ってスタートラインに並ぶ。今年は例年にない暖かさ。この会場でラグビーの日本対アイルランド戦が有ったのかと思うと、ちょっと胸が熱くなる。

9時10分スタート。スタジアム改修中でコースが変更されていた去年と思うと渋滞する箇所が少なくストレスが無い。キロ5分台前半で進む。身体は直ぐにゾーンに入った感じ。下り坂でスピードを出し過ぎない事を心掛けて進む。10km過ぎた所で給水する。今季は怪我が多くて練習不足で、名古屋では5時間越え、揖斐川でも4時間半越えと不調。今回も4時間を切るなんて無理と思いながらも、それを目指さなくては思い切り駄目だろうと気持ちだけは4時間を切るつもりで走る。

20km過ぎてもキロ5分台を維持できていて、これならば本当に4時間切れるかもと、つい捕らぬ狸の皮算用をしてしまう。バナナが各エイドにあり、まんじゅう、イチゴと補食には困らない。沿道の声援に応えながら、可睡斎周辺の最後の坂を降りた30km過ぎで、ついに足が攣り始める。スピードがキロ6分台に落ち、これでは4時間切りは無理と悟るも、何とか4時間台前半、できれば4時間15分を切りたいと思う。給水で攣り止めのサプリを飲む。フルマラソンは32km地点を半ばと思って走らないと、後半のペースを維持するのは難しい。

その後もどんどんペースが落ちてゆくが、足が攣るのには慣れているのでそんなに辛くはない。動かなくなった足にエイドで冷却スプレーを掛けると復活する事を覚えた。しかし40km、エコパ会場への坂道を登りきった所で、ついに足が固まる。その場で止まって腱を伸ばし、痛いながらも再び走り出す。去年とほぼ同じ4時間16分でゴール。怪我に苦しめられた今季ではあったが、何とか例年並みの走力を取り戻した事を確認できました。



ブレイブブロッサムのジャージ着ていた人が結構いたな。袋井市スポーツ協会の人に取材されてた。  


Posted by ttakeo at 07:30Comments(0)スポーツ

2019年12月10日

豊橋市中央図書館ファインモールド社長講演会

12月7日に豊橋市中央図書館にファインモールド社長鈴木邦宏氏の講演会を聞きに行きました。以下はその時のメモです。

プラモデルの起源は1936年、イギリスのフロッグ社がそれまでの木を削って作るソリッドモデルとは一線を画す、組み立てるだけで作れる模型として始まった。当時はまだベークライト樹脂が用いられていた。46年にはアメリカでホーク社がスチロール樹脂を用いたプラモデルを発売した。日本には米軍の酒保から持ち込まれた。日本で最初に生産されたプラモデルには諸説あるが、58年にマルサン社がアメリカのレベル社のデッドコピーで潜水艦の模型を発売している。その後、すぐに国内でもオリジナルのプラモデルが生産される様になった。しかし、もう今ではこれらの会社は無くなってしまった。

幼い日、福岡保育園の近くにだるま堂と言う店が有って、そこに置かれている模型に惹かれていた。
南部中学に通う様になって耕文堂と言う書店でモデルアート、ホビージャパンと言う模型雑誌を読む様になった。
豊橋工業高校時代は模型クラブの展覧会が新聞で取り上げられ、翌年から部に昇格。授業中にすら模型を作っていたが先生に怒られる事は無かった。良い時代だった。

87年岐阜の今は無きエルエス社に入社して金型作りを学ぶ。
92年、鳥山明氏のデザインを個人でプラモデルをプロデュースする。会社の設備を使って個人的に生産したい旨を伝えた時、あり得ないと拒絶されたが何度も頼んだら遂に根負けして作る事ができた。

父の死後、会社から独立したが貯金が10万円しかなく、個人用の旋盤とボール盤を購入して零戦の20mm機銃の削り出しパーツなどを制作して販売したり、プロのモデラーとして依頼に応じて模型を制作して金を稼いでいた。

自社で金型を作る事ができる様になり、ファインモールドを名乗ってからは模型メーカーのハセガワを通じて自社のプラモデルを販売していた。世に出ていない好きな物を作る事で事業を維持することができた。95式戦車のモデルを9800円で販売してあこぎな商売と言われたが、他には無かったので買ってもらえた。今では3800円で販売できている。

96年に会社が危機に至り、それまでのやり方を変える必要が生じた。97年にスタジオジブリ作品の模型を作った。他のメーカーが許諾を取ろうとして取れない所、宮崎監督に直に自社製品を見せて飛行機談義をする事で取る事ができた。まだ会社組織として登録していなかったので、特別に法務部からの許しを得て鈴木個人との契約になった。

某SF映画のプラモデルについては、今はディズニーに権利者が変わってしまい、どういう経緯で契約が取れたのかすら話す事を禁じられている。

2008年に再び危機、雑誌の付録として模型を付ける方法を編み出した。

金型を作るのは職人技と思われているが、レーザー加工などの最新の技術が導入されている。それでも、最後の仕上げは職人が行うしかない。ある模型では、マイナスネジの向きを一つ一つ変える作業を職人が行なった。百人に一人しか気付かないかも知れない所まで注力している。

旧日本軍の模型を作る為に資料を調べていくと、当時の技術水準が良く分かる。零戦のエンジンはアメリカ製のコピーだし、20mm機銃はスイス製、戦艦大和の主砲はドイツのワグネル社の旋盤で加工した。何もかも完全に自前で作れる水準には無かったので、当時の技術者たちはもしもアメリカとの戦争になったら負けると分かっていた。

模型の市場は最盛期の9割減。今まで会社が潰れていない事はありがたい。

Q 中国メーカーが台頭しているが
A 模型は組み立てて塗装する時に気持ちが最高潮に達するのが良い。中国メーカーの製品もレベルは高いが技術的に可能だから作っているだけで、まだ組み立てる者の気持ちを考える段階にまでは達していない。

Q どうして1/72とか1/48スケールで1/50とか1/100では無いのか
A 昔は日本メーカーにそういうスケールが有ったが、世界は12進法のスケールが標準で、それに沿っていないとサイズが揃わず買ってもらえない。大体、模型が両手の中に入るくらいの基準でスケールを選んでいる。余り小さくては細かい所が見えないし、大きいと手に取れないし置き場所に困る。模型のキモはディテールを省略する事にある。本当に実物に忠実に作ることも可能かも知れないが、そうすると部品点数が増えすぎていつまで経っても組みあがらない模型になってしまう。

Q 人づくりについて
A 今の日本の会社は旧日本軍と同じで、現場と中間管理職は優秀だが上層部は駄目。会社員として自分の在任期間中だけ大過なく過ごせれば良いと言う官僚的な態度。品質が良いだけで消費者に欲しいと思わせる様な製品を開発できなくなった。経済的合理性だけでは人を幸せにはできない。



90分の講演があっと言う間で、そこに人生がぎっしり詰まっていました。

P.S 3年前の美術博物館での講演  


Posted by ttakeo at 10:00Comments(0)アートイベント文化

2019年11月12日

いびがわマラソン2019

11月10日に「いびがわマラソン」に参加しました。この大会は毎回参加申し込みをする事自体が大変な人気の大会で、せっかくエントリーできたので準備を万全に行いたかったのですが、9月に転倒して怪我してから、10月の走行距離がマラソン大会を含めて100kmとおよそ練習不足な状態で臨みました。

朝5時49分のJR大垣行きに乗り、7時半に大垣から養老鉄道に乗って揖斐に到着。そこからシャトルバスで数kmを移動して会場到着が8時半くらい。晴れて暖かいので、上半身はTシャツとアームカバーだけにする。

9時40分にスタート。最初の数kmを走ると何かゾーンに入った感じ。時間の経過を感じなくなり、体のどこにも痛みがない。昨年走った経験もあって、これから先の上り坂の連続に対しても不安を感じない。放っておいても身体が勝手に走ってくれる。エイドは5kmを切る位の間隔で配置されているので、給水や補食には困らない。

14km位までは登り道をキロ5分半位のペースで走り、Qちゃんとハイタッチ。ここで時計を見ると心拍数が危険な領域に入っていて、気にしないでいるか、ペースを下げるべきか迷う。真昼ごろになると11月の初旬だと言うのに日差しが強く、日向の余りの明るさにちょっと意識が遠のき掛ける場面もあった。

20km近辺でブルーベリーとジビエのエイドに寄り、中間点を折り返してからそこまでの無理がたたったのか、失速し始める。28km辺りでキロ7~8分台でしか走れなくなり、これまで追い越して来た集団にどんどん抜いていかれる。足が攣った感じがしたので攣り止めの薬を追加で飲む。道は下りだと言うのに足が動いてくれず、登りより遅くしか走れない。何度も給水所で水を頭から掛けて気合を入れ直す。

35キロメートル地点まで下った所で既に3時間20分くらい掛かっていた。こんな状態でもずっとゾーンに入ったままで足が動かないことを除けば、何の苦痛も感じない。ここで補食を取ると、なぜか身体が復活してキロ6分台を回復する。周囲の集団も遅くなっているので、再び抜き返す場面も有った。人里に戻り、午後も大分過ぎているのに人々が応援してくれている。沿道からハイタッチに手を差し出す子供達は、もう何時間も立ち詰めなんではないかと心配になるくらい。ゴールも近く、心強さに全身に力が入る。

ゴール1km前で再びQちゃんとハイタッチ。また足に疲労が蓄積して来たのか速度はキロ7分台に落ちている。あごを出して走っていたのか、視線がいつの間にか上を向き、肩がとても凝っている。最後の力を振り絞って何とかゴール。記録は4時間45分と、昨年の記録から30分くらい落ちてしまった。全くの練習不足だったが、距離を苦痛に感じる事なく最後まで歩かず(歩く人より遅かったが)ゴールできたので、今回はこれで良しとしよう。


  


Posted by ttakeo at 10:15Comments(0)スポーツ

2019年09月30日

三河高原トレイルランニングレース2019

9月29日、去年台風で中止となった新城トレイルランに参加しました。参加する度に記録を圧縮できた大会なのですが、今年は富士山で転んで足を挫いてから練習不足で、軽く流すつもりでいました。転ぶのが怖くて慎重に進んでいたのですが、16km過ぎで木の根に躓き、バランスを取ろうとしても足元に次々切り株が続いて遂に転倒。強く手を突いてしまいました。痛いのをこらえて何とか走りながら下山。記録はこれまでで最悪の4時間。救護所で冷却スプレーを掛けて、湿布をしてもらいました。家に帰ってから痛くなって夜中に何度も目覚めて悲鳴を上げる。翌日、医者に行ったら手首にヒビが入っている疑いが。まあ、よくそんなんで下山できたなと思うなど。


  


Posted by ttakeo at 07:30Comments(0)スポーツ